週1ペース

だいたい週1冊ペースで本を読み続けている。基本的に通勤時間が読書時間なので、家にいるときはほとんど読まない。だから、こんな程度のペースである。 その時々で気になった本を買って読んでいるのだが、まったく脈絡がないというかデタラメというか、全然タイプの違った本を平気で読んでいる。 今年の初めには「テンプル騎士団の古文書」を読んでいたりしたが、その後なんとなく「ゴールデンスランバー」を読んでみたり、無料でダウンロードできる青空文庫から何十年かぶりに「こころ」を読んでみたり・・・ 4月以降は、「のぼうの城」、「100回泣くこと」、「白夜行」、「新世界より」、「九つの、物語」・・・とまるで違うタイプの本を読んでいく。まったく、なんて読み方をしているのやら・・・ こんな本の読み方をするのも珍しい、というより初めてか。 趣味で本を読むのなら、好きな作家の本だけを読み、他の作家の本などどうでもよいと思っていた。そして、好きな本は何度でも読み返すのだ。 今やっているような本の読み方など意味がないと思っていた。 実際のところ、基本的な考え方は今も変わらない。 何度でも繰り返し読みたくなる本こそが本物であり、いくら多くの本を読んだとしてもそういう本に巡り会えないなら随分とむなしいことだろう。 1回読んだらもういいやと読み捨てするような本なら、いくら読んでもしょうがない・・・ でも、今は、気になる本をあれこれ読んでみる。 他にもいい本が見つかるかもしれないことだし、気の済むまで読んでみよう。 新世界より(上) (講談社文庫)最近、読んでおもしろかった本。1000年後の日本。「神の力」を得た人類。閉鎖的な田舎町だが、表面的には平和な世界。しかし、物語の進展に伴い、明らかになっていく恐ろしい実態。 あらすじを書いたところで、この小説の不思議な魅力はうまく説明できそうもない。なんでいいと思うのか自分でもよくわからない。文庫本では上・中・下の3巻に及ぶ長編だったが、なんだかあっという間に読んでしまった。

講談社の気になる動き

講談社提供の電子書籍に関して、電子書籍販売サイトの「電子文庫パブリ」では4月1日の更新をもってXMDF形式の販売を終了する。 「ビットウェイブックス」では、3月22日をもってXMDF形式による販売を終了するとしている。 今後はどちらも「ドットブック形式」のみの提供となる。 XMDF形式でも.book形式でもパソコンで読む分には問題ないが、電子書籍リーダーで読むとなると話は別である。 Readerは.book形式に対応していないのでXMDF形式を販売しなくなるということは読めなくなるということを意味する。 対応形式を少なくする意味は何だろう? XMDF形式の販売をやめれば売り上げは減るはずである。 それにもかかわらずやめるのは何故なのか? 何らかのメリットがあるのだろうか? 電子書籍は少しずつ増えてきているが、まだまだ少ない。 読みたい本の中に電子書籍化されているものがあった場合には購入するといった程度であり、もっともっと増えてほしいところである。 XMDF形式の販売終了によってReaderで読める電子書籍が減ってしまうのは残念なことである。 XMDF、.book、EPUBと複数の規格が存在するために必然的に起きる問題とも言えるが、出版社側で複数の規格に対応していくことは可能だろうに、あえて切り捨てを行うのは読者軽視の対応と思えてならない。

Readerの使用感

ソニーのReaderを購入して1ヶ月が経過。Readerで3冊ほど読んだので、実際に使ってみて感じたことを書いてみよう。 電子ペーパーの見やすさは想像以上だった。 直射日光が差し込むようなところでも、液晶画面のように映り込みがないから、普通に読むことができる。 わざわざ日向に出て行って読もうなどと思わないかもしれないが、電車やバスに乗っていても、日が差し込むことがある。そんな状況でも電子ペーパーは読みづらくなるようなことはなかった。普通の紙だってそうなのだから、当然と言えば当然か。 液晶画面と違って、長時間見ていても目が疲れることもない。 5インチのポケットエディションは文庫本サイズであり、電車の中で片手に持って読んでもまったく問題なし。 バッテリーのもちもいいが、一回の充電で10冊以上読めるなどということはなさそうである。とはいえ、液晶よりははるかに長時間読めるのは確かだろう。 5インチのポケットエディションの場合、文字サイズを最小にしても画面に表示される文字数は文庫本よりもずっと少ないので、一冊あたりのページ数は文庫本よりもずっと多くなる。 最初に買った電子書籍は、文庫でも600ページを超える長編だったのだが、Readerでは文字サイズを最小にしていても1100ページに達していた。 電子ペーパーの場合、主にページをめくるときにバッテリーを消費するということだから、ページ数が多くなれば、それだけバッテリーを多く必要になるだろう。 文庫本サイズのままで画面だけ大きくして、画面に表示される文字数を増やしてほしいものである。 ちなみに、Readerを購入してから電子書籍を3冊購入したが、いずれもReader Store以外のサイトで購入した。一般の電子書籍販売サイトでダウンロードして、単純にReaderにコピーするだけでよく、専用ソフトを使う必要もない。それで、Readerのメニュー画面に普通に表示されて、まったく問題なしである。 通信機能のないことが最大の欠点とされるが、個人的には必要ない。通信機能がついても、通信料金がかかるなら、余計なお金がかかるだけである。パソコンでダウンロードすればいいので、別途料金がかかるなら、そんな機能いらないと言ってしまおう。

ノースウェスト・スミス

シャンブロウ (ダーク・ファンタジー・コレクション)ノースウェスト・スミス・シリーズは1930年代に書かれたスペース・オペラである。 以前、ハヤカワ文庫から刊行されていたときは、3巻に全13作が収録されていたが、近年刊行されたハードカバー版では1冊に全13作が収録されている。 いずれも短編であり、ストーリーそのものは案外単純というか、あっけなく決着がついてしまうのだが、シリーズ全体に漂う雰囲気が神話的で以前から好きだった。 このシリーズでは毎回のように宇宙的な美女が登場するのだが、ハヤカワ文庫版では松本零士がイラストを書いていて、これがイメージにピッタリだった。 代表作は「シャンブロウ」で、ギリシャ神話の相手をひとにらみするだけで石に変えてしまうメデューサをモチーフにしている。 火星の激昂する群衆から逃げてきた娘。群衆は「そいつを蹴り出せ。俺たちが始末してやる。」と言うのだが、ノースウェスト・スミスは娘を助けて自分の宿舎に連れ帰ってしまい、甘美な恐怖を味わうことになるのだった。 その他のストーリーもちょっと紹介すると・・・ 「冷たい灰色の神」 金星人の歌姫ジュダイは三つの惑星(地球、火星、金星)きっての美女で、彼女が歌う「星のない夜」は宇宙的に大ヒットしたが、人気の絶頂にあったとき、ジュダイは忽然と姿を消してしまった。様々なスキャンダルが噂されたが、結局、わからずじまいで、やがて忘れられ過去の人となった。 ノースウェスト・スミスは火星の無法者の町でそのジュダイと出会った。 ジュダイは、彼女が姿を消したのは自分でもおさえきれない強い力によるものであり、それは愛よりも強いもので、それには抵抗できなかったと言った。 「愛よりも強いものとは何だろう?」 眠りにつく前に考えていたノースウェスト・スミスは、眠りに落ちかけた瞬間、その答えに思いあたった。 「死だ」 ジュダイに依頼されたものを手に入れて、ジュダイのもとを訪れたノースウェスト・スミスは、それまで一度もジュダイと視線を合わせていなかったことに気づく。それまで眼を伏せ、まつげも上げずに話をしていたジュダイが、まぶたを上げると・・・ 「!」 すぐさま逃げ出したかったが、まじまじとのぞき込むことになった・・・ 「失われた楽園」 ノースウェスト・スミスは古代民族セレス族の神官が奪われたものを取り返し、彼らの「秘密」を聞くことになった。 その昔、人類は時を超える力を持っていた。とはいえ、肉体を持って自由に過去や未来を行き来できたわけではなく、過去や未来の人間の記憶を通してその世界を見ることができたのだった。 神官の力によって、ノースウェスト・スミスは太古の時代、まだ大気があった頃の月から地球を眺めていることに気づく。月に住んでいた男の意識のうちにノースウェスト・スミスはいたのだった。 重力が小さく本来なら大気を保持できないはずの月に大気があったのは、そこにいた三位一体の神の力によるものだった。 しかし、その神は生け贄を必要としており、お召しがあれば、月の人間はその神の前にまかりでなければならなかった。さもなければ、月の大気は失われ、美しい月の都は破滅してしまうのだ。 愛する人と愛する世界を守るために男は三位一体の神の前へと進んでいく。 しかし、この男の意識のうちにあるノースウェスト・スミスは、このままでは自分も死んでしまうのではないかと気づく。 そして、悲劇が起こるのだった。

ダン・ブラウンの小説

かなり長いこと、特定の作家の本しか読まなかった。 新作が発表されれば新作を、そして新作が発表されるまでの間は旧作を読み返し続けていた。 それが、昨年春以降、久しぶりに他の作家の本をあれこれと読むようになった。 私の趣味じゃないという本もあったが、おもしろい本もあった。本当にすごい!と思った本もあった。 特に良かったのがダン・ブラウンのラングドンシリーズ第1弾「天使と悪魔」である。 世界的なベストセラーになった小説であり、映画化もされたので、御存知の方も多いだろう。 私はそれまで全然知らず、なんとなく読んでみて、すごい小説だということを知ったわけで、「何を今さら」と思われる方も多いかもしれない。しかし、流行を追いかけているわけではないのだから、いつ読もうがいいのだ。 天使と悪魔 (上) (角川文庫)ガリレオ創設の秘密結社イルミナティ(実際にはガリレオの時代にはまだイルミナティは存在していなかったらしいが。)とバチカン。 キリスト教や世界史には馴染みがないので、はたしてすんなりと読んでいけるのかと思ったが、まったくそんな心配は不要で、読みやすい小説だった。最初からぐいぐいと引き込まれてしまう。迫力のあるストーリー展開である。 ハリウッド映画じゃないが「そこまでやるか!?」と思うようなところもあった(実際、ハリウッド映画になっているのだけど。)が、ハラハラ、ドキドキ、最後まで目が離せない。 ハードカバー版で2冊、文庫判では3冊という長編だが、あれよという間に一気に読んでしまった。 ダ・ヴィンチ・コード(上) (角川文庫)これに続くシリーズ第2弾が「ダ・ヴィンチ・コード」(映画ではこちらが第1弾だった。)で、これがまた大ベストセラーになったわけだが、私には「天使と悪魔」のほうがすごいと感じられた。 しかし、もちろん「ダ・ヴィンチ・コード」もすごかった。 こちらは聖杯伝説を扱ったもので、キリスト教徒には非常にショッキングな内容だったのではないかと思われる。 日本人には馴染みのない聖杯伝説だが、「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」を見た人にはお馴染みだろう。もっとも、「インディ・ジョーンズ」では文字通りの「杯」であるのに対して、「ダ・ヴィンチ・コード」ではキリスト教の根幹を揺るがすようなすごい事実が秘められていたのだった。