ちょっとピンチかも・・・

土曜日の夜のこと。 なぜか、右足の甲が痛かった。 この日は20km以上のルートを歩いたとはいえ、転んだり、足を何かにぶつけたりといったことはなかった。だから、何が原因なのかわからない。 日曜日、やはり足が痛かったが、午前中、12kmほど走った。 一旦走り出せば、ランニングモードに切り替わって、足の痛みはまったく感じることなく、普通に走ることができた。 が、走り終わると、やはり足の甲が痛いことに変わりはなかった。 月曜日、やはり同じ状態だった。 帰りに通勤ランで走ったのだが、今度はランニングモードに切り替わることなく、調子が悪かった。 それで、初めて、走るのは少し控えた方がいいのではと考えた。 そして、今日。 相変わらずの状態である。 右足甲の足首に近い部分が赤くなってちょっとふくらんでいて、これが当たると痛い。 一旦歩き出せば普通に歩けるが、一歩目が痛い。患部が当たるのだろう。 靴によっては、ちょうどベロの部分が当たって、歩いている間ずっと痛い。 一日中じっとしているわけにはいかないから、どうしても痛い思いをすることになる。 そんなだから、靴下を脱いでみれば、周囲は赤くなっており、患部は紫色に近い。 う~む・・・ 重傷とも思えないが、このままでは週末も山歩きができるかどうか? 今週末も花を求めて歩き回る予定だったのに、これはちょっとピンチかもしれない。

レイモンド・チャンドラーの小説

今でも「推理小説」というのだろうか? それとも「ミステリー」というのか? 以前、「推理小説」という言葉を使ったら、友だちから今は「ミステリー」と呼ぶのだと言われたことがあった。推理小説と呼ぼうがミステリーと呼ぼうが中味に変わりはないのだが。 推理小説というと、犯人探しがメインであって、犯人が分かってしまっていては読む気がしないというイメージがある。 たとえ犯人がわかっていようが、何度でも繰り返し読みたくなるものこそ本物の小説であって、一度読めばたくさんという程度のものなら最初から読む必要なしと思ってしまうのだ。 どんなに巧妙なトリックがあろうが、犯人捜しがメインならばそんなのはゲームと同じではないか? そんなわけで、推理小説の類はほとんど読まないのだが、それでも例外があって、レイモンド・チャンドラーはいいと思うのだ。 長いお別れ (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 7-1)) プレイバック (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 7-3))先日、久しぶりに「長いお別れ」を読んだ。 あんまり久しぶりだったので、ほとんどストーリーを忘れてしまっており、初めて読むのとたいして変わりなかったのだが、フィリップ・マーロウは格好いいし、独特の文体がまた良い。 これはストーリーがわかっていても、また読みたくなる小説だから、「本物」である。 続いて読んだのが「プレイバック」で、この小説には「しっかりしていなかったら、生きていられない。やさしくなれなかったら、生きている資格がない」という名台詞がある。 チャンドラーの小説にはけっこう有名な台詞というのがあるらしい。 「長いお別れ」には「ギムレットには早すぎるね」という台詞があって、「長いお別れ」を読むと、ギムレットを飲んでみたくなるのだった。