今でも「推理小説」というのだろうか?
それとも「ミステリー」というのか?
以前、「推理小説」という言葉を使ったら、友だちから今は「ミステリー」と呼ぶのだと言われたことがあった。推理小説と呼ぼうがミステリーと呼ぼうが中味に変わりはないのだが。
推理小説というと、犯人探しがメインであって、犯人が分かってしまっていては読む気がしないというイメージがある。
たとえ犯人がわかっていようが、何度でも繰り返し読みたくなるものこそ本物の小説であって、一度読めばたくさんという程度のものなら最初から読む必要なしと思ってしまうのだ。
どんなに巧妙なトリックがあろうが、犯人捜しがメインならばそんなのはゲームと同じではないか?
そんなわけで、推理小説の類はほとんど読まないのだが、それでも例外があって、レイモンド・チャンドラーはいいと思うのだ。
先日、久しぶりに「長いお別れ」を読んだ。
あんまり久しぶりだったので、ほとんどストーリーを忘れてしまっており、初めて読むのとたいして変わりなかったのだが、フィリップ・マーロウは格好いいし、独特の文体がまた良い。
これはストーリーがわかっていても、また読みたくなる小説だから、「本物」である。
続いて読んだのが「プレイバック」で、この小説には「しっかりしていなかったら、生きていられない。やさしくなれなかったら、生きている資格がない」という名台詞がある。
チャンドラーの小説にはけっこう有名な台詞というのがあるらしい。
「長いお別れ」には「ギムレットには早すぎるね」という台詞があって、「長いお別れ」を読むと、ギムレットを飲んでみたくなるのだった。