Who wants to live forever?

青梅マラソンで久しぶりに仲間に会ったのだが、いつの間にかみんな年を取っていることに気づいてびっくりした。(久しぶりといっても、昨年も会っているのだが。) 私が入った頃はまだ30代で若かった人たちが、今はもう定年まであと何年などと話しているのを聞いて愕然とした。 私がエースと呼ばれるようになってからすでに10年どころか15年ぐらいは経っているのだから当たり前か。 しかし、私もすでにかつての力を失ってしまった。 仲間とは離れていくばかり。 いつしか道を間違えて、こんなところにまで来てしまった。 (もう引き返すこともできない。) そんな風に考えて、急に寂しくなってしまった。 変わらないようでいて、確実に年老いていく。 もうあの華やかなりし時代は戻ってこない。 もし永遠に生きられるとしても、仲間がいなくなって自分一人になってしまうなら、寂しいだけだ。 いったい誰が永遠の生を望むことだろう? 青梅マラソンのあと、なぜか落ち込んでしまった。 カインド・オブ・マジック(紙ジャケット仕様)ところで、Queenの「Who Wants to Live Forever」は1986年の「A Kind of Magic」に収録されていて好きな曲の一つである。フレディ・マーキュリーはこのときまだエイズは発症していなかったと思われるが、この時点でこう歌っているのが実に暗示的である。

私のこと?

某ブログを見て驚いた。 これって、私のこと?(そうに決まってるだろ!) こっそりとリンクを張ったら、もうばれてしまった。(どこが「こっそり」だ!) フライングだったかと思ったが、お咎めはなかったようでホッとした。 コメントしようかと思ったが、コメントは受け付けていないようでちょっと残念。

年中行事

いつもなら、この週末は山には行かないことになっていた。 しかし、今回は青梅マラソンに参加し損ねたので、昨日はもっけの幸いとばかり車山まで出かけていったのだった。 青梅マラソンは、私が所属するクラブの年中行事のようなもので、最近ではあまり集まる機会がなくなってしまったが、この日ばかりは多くのメンバーが顔を揃えるときでもある。 自分が選手として参加していたときは、いつも応援してもらったし、サポートもしてもらった。 だから、今回参加し損ねたからと言って、よそで遊んでいるわけにはいかない。 それで、今日は青梅マラソンの応援に行ってきた。 とはいうものの・・・ 走らない人は午前中からお酒飲んでいた。(近くの公園に陣取っているので、当然、屋外であり、日が差せば暖かいが、日が陰ってしまうとちょっと寒い。) 近年、高齢化が進んだことや故障により走れなくなった人とかもいて、選手より応援の方が多くなってしまった。(ちなみに私が一番若い。) また、定員に達して早めにエントリー受付を終了したため走れなかった人が他にもいた。(やっぱりな~!) しかし、こういう大会というのはやっぱり走ってこそなので、なるべく多くのメンバーに走ってほしいものである。(ってお前が言うか!?)

ら抜き表現

若い人たちが当たり前のようにら抜き表現をしているのをみると、今時の若い人はこんなもんなんだろうな~と思う。 言葉は時代と共に変わっていくものだから。 しかし、いい年した人が「見れる」とか「食べれる」なんて書いているのを見たりすると、なんだか教養のない人のように感じられてしまったりもする。 私はというと、だいたい気をつけているので、ら抜き表現はしない・・・と言いたいところだが、ときどきパソコンで日本語入力していると、ATOKに「ら抜き表現」と怒られることがある。「一太郎」と共に毎年進化しているATOKだが、いつの頃からか、ら抜き表現をすると、すかさず指摘してくれ、打ち直すことなく簡単に修正できるようになった。 おかげで、ら抜き表現の文章を書くことはほとんどなくなった・・・かな?

失敗に学ぶ

職場で失敗学の話を聞いた。 といっても、チラッと聞いただけで詳しく聞いたわけではない。 これまでの人生、失敗の連続だった。 振り返ってみると、私の人生の80%は失敗だったのではないか? いったい何度失敗を繰り返したら気が済むのか? やり直したいと思うことが多すぎる。 いっそ、最初からやり直したい。 無理なことだけど。 しかし、失敗を恐れ、恥じ、隠すよりも、失敗に学んで、プラスに転じていくことが大事である。 失敗してしまったものはしかたがない。なかったことにすることはできないのだから、失敗に学んで良い方向に持っていくよう心がけよう。