待望の新作

平井和正さんの新作「幻魔大戦deep トルテック」が届いた。 ●大河小説「幻魔大戦」について、ちょっと説明。 「幻魔大戦」のほかに「新幻魔大戦」「真幻魔大戦」「ハルマゲドン」「ハルマゲドンの少女」「幻魔大戦deep」といった小説があるのだが、私が最初に「幻魔大戦」を読んだとき、こんなすごい小説があったのかと驚かされたものである。 1983年に同名のアニメーション映画が公開されたが、これは、事実上、小説の「幻魔大戦」とは無関係といってよい。 「幻魔大戦」は救世主ストーリーである。 主人公の東丈は超能力戦士ではなく、救世主への道を歩んでいく。 東丈は、超能力では救われないと言い切ってしまい、ある意味、超能力を否定してしまう。そして、東丈は自らの超能力はほとんど行使することがない。 救世主はいかにして人々を覚醒へと導いていくのか? そして、真の救世主に対抗して現れる悪の救世主はいかにして真の救世主の大業を妨げていくのか? といったことが、「幻魔大戦」で書かれていくのだが・・・ 悪の救世主(新約聖書のヨハネの黙示録に登場する666の“獣”のこと)というのも単純ではないようでむずかしい。 最初、高鳥慶輔が悪の救世主として育っていくのかと思った。 「幻魔大戦」の続編である「ハルマゲドン」がスタートした時点では、作者自身、そう思っていたようなのだが・・・ それほど単純な話ではなかったらしい。 悪の救世主は、多くの人々がこの人こそ真の救世主だと信じて、付き従っていってしまうような、たいへんに魅力的な人物らしいのだが・・・ 「ハルマゲドンの少女」において東三千子が出会った東丈はなぜか金髪・碧眼の白人青年として登場する。北米の巨大教団の指導者として絶大な権勢を誇る存在であり、彼こそ反キリストたる悪の救世主らしいのだが、想像を絶した展開に驚くばかりである。 東丈がなぜ悪の救世主として登場するのか? 世界は想像していたほど単純ではないようである。 「幻魔大戦」シリーズは物語の途中で中断しており、謎の部分が多い。 今回の「幻魔大戦deep トルテック」も、ストレートな続編ではないから、すべての謎が解き明かされるというわけでもないだろう。 とはいえ、“幻魔大戦の最終回答”とも言われている以上、期待しないではいられない。 さっそく読み始めたいところだが、今読んでいるシリーズもあることだし、ちょっと考えるところである。 前作「幻魔大戦deep」も読み返してみたいし・・・ そうすると、トルテックを読むのはけっこう先になってしまいそうだから、悩むところである。

趣味かファッションか?

売り上げランキングをもとに本を選ぶ人が増加しているということをNHKで取りあげていた。 本は読む人の好みで選ぶものだと思っていたが、最近はそうでない人が多いらしい。 私にとって本を読むのは趣味だが、最近は趣味ではなくファッションにしている人が多いということだろうか? 売れている本だけを選ぶなら、単に流行を追っているだけで、趣味でも何でもない。 ランキングは常に移り変わっていくから、過去のものは速やかに忘れ去っていくのだろうか? きっと、読み捨てていくだけで、同じ本を読み返すこともないのだろう。 私にとって読書は趣味なので、ランキングなどどうでもいい。 自分が読みたい本だけを読むし、好きな本は何度でも読み返す。 結末がわかっていたら読む気がしないとしたら、所詮、その程度の本なのだろうと思ってしまう。 一度読めば十分と思うような本なら、そもそも読む必要などないのではないかとさえ思ってしまう。 再読に値する本だけを読んでいきたいものである。

アーサー・C・クラーク死去

世界的に有名なイギリスのSF作家アーサー・C・クラークが19日、死去した。 クラークと言えば、「幼年期の終り」あたりが代表作ということになるのかもしれないが、個人的には「2001年宇宙の旅」が好きである。後に、「2010年宇宙の旅」「2061年宇宙の旅」と続編が書かれ、「3001年終曲への旅」で一応シリーズは完結した(ようである)。 「2001年宇宙の旅」というと、映画の超絶的なラストがあまりにも凄くて、小説を読んだ後に見たにもかかわらず、衝撃を受けたが、小説の方もなかなか・・・である。 決定版 2001年宇宙の旅 (ハヤカワ文庫SF)3001年終局への旅 (ハヤカワ文庫SF)

電子書籍に期待

最近、本屋へ行っても、欲しいと思う本がほとんど置かれていない。 新刊が出ても、一定期間が経過すれば店頭から姿を消し、在庫がなくなれば、あっさり絶版状態になり、入手困難になる。 書店のスペースは限られているから、売れる本でなければ、あっさり店頭から姿を消すことになる。 出版社も在庫をいっぱい抱えるわけにはいかないから、売れる本でなければ増刷することもない。 しかし、「売れる本」=「良い本」とは限らない。 良い本が店頭から姿を消し、入手困難になってしまうのは残念なことである。 こういう現状を考えると、電子書籍の普及に期待するしかない。 電子書籍なら品切れや絶版の心配がない。 インターネットで家にいながら購入して読むことができるし、自宅の書棚が溢れる心配もない。 問題は、外に持ち出して読める端末がないことである。 現状では、自宅のパソコンで読むしかない。 かなり前から、電車の中で手軽に扱える携帯端末の登場を待ちわびている。 最近、iPod touchを携帯読書端末として使うことができることを知った。 ボイジャーの「T-Time」や「azur」の書き出し機能を使うと、電子書籍を画像として書き出すことができるので、iPodやデジタルカメラ、携帯電話などでも表示することができるらしい。 モバイルPCを買おうかとも思ったが、iPodで本を読めるというのはなかなかよさそう・・・ もっとも、すべての電子書籍が対応しているわけではないから、まだまだこれからという気もするが、今後の対応に期待したい。

「ランニング登山」

「ランニング登山」(下嶋溪・山と溪谷社・1986年) 山好きなランナーであれば、この本をご存じの方も多いだろう。 1986年に刊行された本であり、著者も故人となり、現在は古書を探すしかない本だが、走る人にとってはなかなかおもしろい本である。 この本には、各地の山を走った記録なども載っており、八ヶ岳全山夜行日帰り縦走とか奥秩父全山夜行日帰り縦走などという恐るべき記録も載っている。 丹沢全山日帰り縦走というのもある。大山バス停~大山~塔ノ岳~蛭ヶ岳~檜洞丸~大室山~菰釣山~山伏峠~平野というコースを12時間半で走破している。 まったく驚異的な記録である。 これに比べたら、西丹沢から大倉への日帰り縦走など、全然大したことない。 一昨年の5月、西丹沢からヤビツ峠まで行って、大山に登ろうかと思ったことがあった。 大山に登る余力はあったが、やり過ぎかなと思って、蓑毛に下山してしまったのだった。 あとで、やっぱり大山に登ればよかったと思った。 同じコースでも、余裕を持って速いペースで歩けるときもあれば、ゆっくりペースでもきついときもある。 そして、最近は、どちらかというと、後者の場合の方が多い。 西丹沢から大山までの日帰り縦走など、やろうと思っても、そうそうできるものではない。 やっぱり、あのときやっておけばよかった!