
死刑に関していろいろと考えさせられる物語である。
単なる死刑存続や廃止の問題ではなく、死刑の現実はこういうものなのだと示される。
死刑執行のお迎えは午前9時にやって来る。
この時間に死刑囚の舎房の扉が開かれて、足音がやってくると恐怖に怯えることになる。
自分の部屋の前で足音が止まらないでくれと必死で祈る。
死刑判決を受けても、いつ死刑が執行されるかはその日になるまで死刑囚にはわからない。
実際に刑が執行されるのは何年も後になることが多いので、死刑囚はその間、毎日恐怖に怯えて過ごすことになる。
一方、死刑を執行する側も、これは本当に嫌な仕事である。
刑務官・南郷の回想シーンは壮絶である。一度目は死刑囚の首に縄をかけ、二度目は、死刑執行のボタンを押すことになった。死刑囚の立つ踏み板を外すスイッチは3つあり、3人が同時にスイッチを押し、誰がやったかわからないようになっているとはいえ、こんな嫌な役目もないものである。(南郷の回想シーンでは合図と共に執行ボタンを押したが、刑が執行されなかった。実は、執行ボタンを押す担当の1人がボタンを押せずにいたのだった!)
その上、死刑囚が確かに死亡したことを確認しなければならないのだ。
南郷は初めて死刑執行を行って以来、毎夜、うなされ続けることになった。
さて、これは傷害致死の前科のある青年・三上と刑務官・南郷が死刑囚の冤罪を晴らそうという物語である。
問題の死刑囚・樹原亮は事件があったときの記憶を失っていた。バイク事故で重傷を負ったせいで、その前後の記憶がなかったのだ。
身に覚えがないので、被害者の遺族に謝罪も補償も行っておらず、そのため改悛の情が認められず、死刑判決を受けることになったのだった。
そして、身に覚えがないのだから、恩赦の出願もない。ということで、死刑執行起案書に判が捺されていく・・・
はたして、死刑が執行される前に、無実の証拠を見つけることができるのか? というわけだが・・・
え~~~~っ!?
そんなはずないでしょ!?
どうなってるの!?
恐るべき展開をたどるのだった。
(ちょっとだけネタバレ)
続きを読む →