月別アーカイブ: 2006年10月
サブスリー
サブスリーとは市民ランナーにとって特別な言葉である。
サブスリーとはフルマラソンを3時間以内で走ることをいい、4時間以内ならサブフォーという。
普段からマラソンのための練習をしている人ならサブフォーは難しくないが、サブスリーとなると簡単にはいかない。
だから、サブスリーは、多くの市民ランナーの目標とするところであり、いわゆる一つのステータスとも言える。
最初、走り始めたときは、単に健康のためで、レースに出ることなどまったく考えていなかった。
もともと体力は人並み以下だったし、走るのも人並み以下だったからである。
だから、私がサブスリーを達成するなど、私が走り始めた頃には誰も予想し得なかっただろう。
それが、なぜかサブスリーを達成(全部で7回)してしまうから不思議なものである。
しかし、2003年3月を最後にサブスリーから遠ざかっている。
レースよりも山のほうがメインとなっており、以前ほど練習熱心でなくなったためだろう。
とはいえ(もう少しでサブスリーにとどく程度の)そこそこのタイムでは走っているので、まだまだ練習次第でサブスリーは可能なはずである。
10月に入り、暑さも和らぎ、過ごしやすくなってきたので、そろそろ本格的な練習を開始することにしよう。
PULSE
長谷川恒男CUP(1999年)
初参加の長谷川恒男CUPでは、給水と行動食で苦戦したので、この問題が解消されない限りは参加しないつもりだった。
しかし、給水に関しては、500ミリのペットボトルを4本にして、スポーツドリンクと水の両方を用意し、行動食については、バナナなどの食べやすいものを用意すればいいだろう・・・というわけで、翌年の1999年、再び参加することにしたのだった。
給水の際、いちいち荷物を下ろす必要のないように、500ミリリットルのペットボトルを腰付けして、こまめに給水していった。また、前回は前半けっこうがんばってしまったという気がしたので、無理せず抑えていくことにした。
そんなこともあって、半分ちょっと行って、三頭山から下り始める時点では、前回よりも余裕があった。(前回の失敗を教訓に中盤まではうまくいっていた。)
しかし・・・
第2関門の月夜見第2駐車場でしばらく休憩。この時点では、もう前回よりも調子が悪かった。
前回は、基本的な装備に問題があったのだが、それだけの問題ではなかったのだった。根本的に無理があった。おにぎりの代わりにバナナを食べたからといって、問題が解決されたわけではなく、やっぱり胃をやられてしまった。アップダウンのある山道を歩いているだけでも、胃が上下するような感じで、調子は悪かった。体力のみならず、内臓も強くないとならないレースであり、私は基礎体力もなかったし、ちょっと弱すぎたようである。
第2関門では、すでに半分以上歩いてきたとはいえ、御前山や大岳山を越えていかなければならず、この御前山への登りこそが一番苦しむところなので、なかなか出発する気になれなかった。しかし、棄権するわけにもいかず、やがて出発。当然、苦しむことになった。
御前山から大ダワまで下って、いったん林道に出る。棄権しようなどとは思わなかったが、よっぽど体のほうがまいっていたようで、登山道を歩きながら、涙が流れていた。どうせ真っ暗で他に人もいなかったから、そのままにしていたのだが、林道に出ると人がいるので、林道に出る前に涙を拭い、平静な顔をしていくことにする。そしてゼッケンのチェックを受けたのだが、大会役員から「大丈夫ですか」と聞かれてしまった。他の人にはそんなこと言ってなかったので、見るからに弱々しかったということだろう。さすがに、そう言われて、ショックだった。
その後、大岳山を過ぎると、コースも楽になってきて、体調も少しずつ回復してきた。
夜間はずっと歩いていたが、日の出山からはゆっくりとだが走っていくことにした。そして、このへんが不思議なところだが、走っていくにつれて、次第に疲れが取れていった。
終盤は疲れも取れてきたので、ペースを上げて、前の人を追い抜いていった。走りながら、どこに足を着地していけばいいか瞬時にわかるようになっていた。(疲れているときは、こうはいかず、慎重にゆっくり下りていくしかない。)
前回もそうだったが、今回も終盤になって復活したのだった。こうなれば、もう追い抜かれることはなく、どんどん追い抜いていって、ゴールしたのだった。
長谷川恒男CUP(1998年)
長谷川恒男CUPとは、五日市から今熊神社、醍醐丸、生藤山、土俵岳、三頭山、御前山、大岳山、日の出山と回って五日市に戻るという一周71.5kmのコースを24時間以内で走破するという日本山岳耐久レースのことである。
1998年と1999年の2回に参加したので、その時のことについて書いてみたい。
まずは1回目。
以前から知り合いが参加していたが、私には無理だと思っていた。山は好きだが、山を走るのは弱かったから、制限時間内で完走する自信はなかった。しかし、ずっと走りっぱなしというわけではなく、途中でけっこう寝たりするという話を聞き、完走自体はさほど難しくないと知って、参加することにしたのだった。
午後1時、五日市をスタート。今熊神社から本格的な山道になり、入山峠が予備関門となっているが、まだスタートからわずか7km。この辺はまったく余裕である。醍醐丸からは延々と続く笹尾根を三頭山へ目指す。
第一関門が浅間峠(22.66km)。ここを通過すると、次第に薄暗くなってきて、ヘッドランプを点灯。明るいうちは元気で、登りは歩いても下りは走っていたが、ヘッドランプを点灯する頃にはもう走らなくなった。早足で歩いていても、転びそうになった。
レース前に十分な食事をしていたので、第一関門で休憩した際も、給水のみで、食事はしなかった。その後、槇寄山あたりで、休憩して食事しようとしたが、おにぎりを半分食べただけで、それ以上は食べられず。(早めに食べるべきだった。)
三頭山がコースの最高点で、全行程の半分といったところである。三頭山へはけっこう急な登りになるので、こんな大会に参加してしまって馬鹿だな?と思いながら登っていった。
昼間は暖かくても、夜になるとけっこう冷え込み、休憩するときには防寒具が必要だった。
水は2リットル以上持っていくことが義務づけられているが、2リットルのペットボトルを持っていったのは大失敗だった。給水するのにいちいち荷物を下ろさなければならず、荷物を下ろすのが面倒なので、前半元気なうちはあまり給水しなかったのだった。両サイドにポケットのあるザックに500ミリリットルのペットボトルを入れていくのがいいようだ。
三頭山あたりで、スポーツドリンクの味が濃く感じられ、その後は、もう飲めなくなった。第二関門の月夜見第2駐車場(42km)で水1.5リットルを補給できるので、その手前で、ペットボトルのスポーツドリンクをすべて捨てたのだが、スポーツドリンクの入っていたペットボトルに水を入れてもらっても、わずかにスポーツドリンクの味がして、体が受け付けてくれなかった。一口飲んでも、まずくて、ほとんどそのまま吐き出してしまった。しかも、それだけですまず、本当に吐き気がしてきて、危ない状態になった。もっともたいした食事をしていなかったため、吐くものがなかったのだが……。そんな状態になると、さすがに棄権を考えるのだが、棄権するにも車道まで下りていかなければならないから、コースに沿って歩いていくことになる。やがて、車道に下り着くことになるのだが、下っている時はさほど苦しくもないし、車道に出たところでは大会の係員が「がんばってください」などと応援してくれるので、勢いそのまま先へ進んでしまうことになる。車道から登山道に入ると、当然また登りになるので、棄権しなかった自分の馬鹿さ加減に再びあきれることになる。
大岳山を越え、御岳山の1.5km手前の綾広の滝上部に水場があり、ここでようやくまともな給水ができた。前の人は、水をペットボトルかなにかに入れていたが、私のペットボトルにはまだ第二関門で入れてもらった水が入っていたので、水場で直に飲んだだけである。
ペットボトルの水を捨てて、水場の水に入れ替えるということに考えがまわらなかった。その先に、もう1か所水場があったのだが、その水場を過ぎてから、ようやくペットボトルの水を入れ替えればいいと気付いた。第三関門(御岳山の長尾平・58km)を通過し、御岳神社でペットボトルに入っていた水をすべて洗い流し、下山するまでに必要な程度の水を補給した。これで、ようやく、まともに給水できるようになったのだった。
早い人たちは夜中のうちにゴールしてしまうが、私などは第三関門(御岳山の長尾平)にたどり着く頃にはかなり明るくなっていた。
夜明けが近づくと、あたりも明るくなって、ヘッドランプも必要なくなってくる。大岳山を越えると、コースもわりと楽になるということもあるのだが、明るくなるとなぜか元気が出てくるから不思議である。あれほど苦しんだのに、疲れが取れてきているのである。
日の出山へは階段の登りが待っていた。しかし、夜が明けると、不思議と元気が出てきており、階段もしっかりと登っていくことができた。太股のほうはほぼ復活していたようであり、前の人を追い抜いていくことができるようになっていた。
日の出山からはひたすら下りだが、脹ら脛に疲れがたまっていると、とても走ることなどできず早足で歩いていくことになる。しかし、これまた不思議と、終盤になると、脹ら脛の疲れも取れて、最後は元気に走ってゴールに向かっていった。中盤以降あれだけ苦しんだのが嘘のように普通に走ることができたのだった。
終わりよければすべてよしで、中盤以降苦しんだことはきれいさっぱり忘れてしまうことができたのだった。
このレースは、腹が減っても何も食べられず、のどが渇いても給水ができなくなるという非常に苦しい展開だった。スポーツドリンクのみ2リットルというのではなく、水とスポーツドリンクの両方を用意して、500ミリリットルぐらいのペットボトルに入れるべきだった。また、荷物を下ろさなくてもすぐに取り出せるようにして、前半からこまめに給水するようにしたほうがいいようだ。
給水に関しては、水を用意すればいいとしても、中盤以降何も食べられないというのもつらい。中盤以降も食べられるものがない限り、もう二度と出ることはないだろう。この大会に限らず、ウルトラマラソンの類もまず無理だろう。そう思った。