長谷川恒男CUP(1999年)

初参加の長谷川恒男CUPでは、給水と行動食で苦戦したので、この問題が解消されない限りは参加しないつもりだった。
しかし、給水に関しては、500ミリのペットボトルを4本にして、スポーツドリンクと水の両方を用意し、行動食については、バナナなどの食べやすいものを用意すればいいだろう・・・というわけで、翌年の1999年、再び参加することにしたのだった。

給水の際、いちいち荷物を下ろす必要のないように、500ミリリットルのペットボトルを腰付けして、こまめに給水していった。また、前回は前半けっこうがんばってしまったという気がしたので、無理せず抑えていくことにした。
そんなこともあって、半分ちょっと行って、三頭山から下り始める時点では、前回よりも余裕があった。(前回の失敗を教訓に中盤まではうまくいっていた。)
しかし・・・
第2関門の月夜見第2駐車場でしばらく休憩。この時点では、もう前回よりも調子が悪かった。
前回は、基本的な装備に問題があったのだが、それだけの問題ではなかったのだった。根本的に無理があった。おにぎりの代わりにバナナを食べたからといって、問題が解決されたわけではなく、やっぱり胃をやられてしまった。アップダウンのある山道を歩いているだけでも、胃が上下するような感じで、調子は悪かった。体力のみならず、内臓も強くないとならないレースであり、私は基礎体力もなかったし、ちょっと弱すぎたようである。
第2関門では、すでに半分以上歩いてきたとはいえ、御前山や大岳山を越えていかなければならず、この御前山への登りこそが一番苦しむところなので、なかなか出発する気になれなかった。しかし、棄権するわけにもいかず、やがて出発。当然、苦しむことになった。

御前山から大ダワまで下って、いったん林道に出る。棄権しようなどとは思わなかったが、よっぽど体のほうがまいっていたようで、登山道を歩きながら、涙が流れていた。どうせ真っ暗で他に人もいなかったから、そのままにしていたのだが、林道に出ると人がいるので、林道に出る前に涙を拭い、平静な顔をしていくことにする。そしてゼッケンのチェックを受けたのだが、大会役員から「大丈夫ですか」と聞かれてしまった。他の人にはそんなこと言ってなかったので、見るからに弱々しかったということだろう。さすがに、そう言われて、ショックだった。

その後、大岳山を過ぎると、コースも楽になってきて、体調も少しずつ回復してきた。
夜間はずっと歩いていたが、日の出山からはゆっくりとだが走っていくことにした。そして、このへんが不思議なところだが、走っていくにつれて、次第に疲れが取れていった。
終盤は疲れも取れてきたので、ペースを上げて、前の人を追い抜いていった。走りながら、どこに足を着地していけばいいか瞬時にわかるようになっていた。(疲れているときは、こうはいかず、慎重にゆっくり下りていくしかない。)
前回もそうだったが、今回も終盤になって復活したのだった。こうなれば、もう追い抜かれることはなく、どんどん追い抜いていって、ゴールしたのだった。


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