長谷川恒男CUP(1998年)

長谷川恒男CUPとは、五日市から今熊神社、醍醐丸、生藤山、土俵岳、三頭山、御前山、大岳山、日の出山と回って五日市に戻るという一周71.5kmのコースを24時間以内で走破するという日本山岳耐久レースのことである。
1998年と1999年の2回に参加したので、その時のことについて書いてみたい。
まずは1回目。

以前から知り合いが参加していたが、私には無理だと思っていた。山は好きだが、山を走るのは弱かったから、制限時間内で完走する自信はなかった。しかし、ずっと走りっぱなしというわけではなく、途中でけっこう寝たりするという話を聞き、完走自体はさほど難しくないと知って、参加することにしたのだった。

午後1時、五日市をスタート。今熊神社から本格的な山道になり、入山峠が予備関門となっているが、まだスタートからわずか7km。この辺はまったく余裕である。醍醐丸からは延々と続く笹尾根を三頭山へ目指す。
第一関門が浅間峠(22.66km)。ここを通過すると、次第に薄暗くなってきて、ヘッドランプを点灯。明るいうちは元気で、登りは歩いても下りは走っていたが、ヘッドランプを点灯する頃にはもう走らなくなった。早足で歩いていても、転びそうになった。
レース前に十分な食事をしていたので、第一関門で休憩した際も、給水のみで、食事はしなかった。その後、槇寄山あたりで、休憩して食事しようとしたが、おにぎりを半分食べただけで、それ以上は食べられず。(早めに食べるべきだった。)
三頭山がコースの最高点で、全行程の半分といったところである。三頭山へはけっこう急な登りになるので、こんな大会に参加してしまって馬鹿だな?と思いながら登っていった。
昼間は暖かくても、夜になるとけっこう冷え込み、休憩するときには防寒具が必要だった。

水は2リットル以上持っていくことが義務づけられているが、2リットルのペットボトルを持っていったのは大失敗だった。給水するのにいちいち荷物を下ろさなければならず、荷物を下ろすのが面倒なので、前半元気なうちはあまり給水しなかったのだった。両サイドにポケットのあるザックに500ミリリットルのペットボトルを入れていくのがいいようだ。
三頭山あたりで、スポーツドリンクの味が濃く感じられ、その後は、もう飲めなくなった。第二関門の月夜見第2駐車場(42km)で水1.5リットルを補給できるので、その手前で、ペットボトルのスポーツドリンクをすべて捨てたのだが、スポーツドリンクの入っていたペットボトルに水を入れてもらっても、わずかにスポーツドリンクの味がして、体が受け付けてくれなかった。一口飲んでも、まずくて、ほとんどそのまま吐き出してしまった。しかも、それだけですまず、本当に吐き気がしてきて、危ない状態になった。もっともたいした食事をしていなかったため、吐くものがなかったのだが……。そんな状態になると、さすがに棄権を考えるのだが、棄権するにも車道まで下りていかなければならないから、コースに沿って歩いていくことになる。やがて、車道に下り着くことになるのだが、下っている時はさほど苦しくもないし、車道に出たところでは大会の係員が「がんばってください」などと応援してくれるので、勢いそのまま先へ進んでしまうことになる。車道から登山道に入ると、当然また登りになるので、棄権しなかった自分の馬鹿さ加減に再びあきれることになる。
大岳山を越え、御岳山の1.5km手前の綾広の滝上部に水場があり、ここでようやくまともな給水ができた。前の人は、水をペットボトルかなにかに入れていたが、私のペットボトルにはまだ第二関門で入れてもらった水が入っていたので、水場で直に飲んだだけである。
ペットボトルの水を捨てて、水場の水に入れ替えるということに考えがまわらなかった。その先に、もう1か所水場があったのだが、その水場を過ぎてから、ようやくペットボトルの水を入れ替えればいいと気付いた。第三関門(御岳山の長尾平・58km)を通過し、御岳神社でペットボトルに入っていた水をすべて洗い流し、下山するまでに必要な程度の水を補給した。これで、ようやく、まともに給水できるようになったのだった。

早い人たちは夜中のうちにゴールしてしまうが、私などは第三関門(御岳山の長尾平)にたどり着く頃にはかなり明るくなっていた。
夜明けが近づくと、あたりも明るくなって、ヘッドランプも必要なくなってくる。大岳山を越えると、コースもわりと楽になるということもあるのだが、明るくなるとなぜか元気が出てくるから不思議である。あれほど苦しんだのに、疲れが取れてきているのである。
日の出山へは階段の登りが待っていた。しかし、夜が明けると、不思議と元気が出てきており、階段もしっかりと登っていくことができた。太股のほうはほぼ復活していたようであり、前の人を追い抜いていくことができるようになっていた。
日の出山からはひたすら下りだが、脹ら脛に疲れがたまっていると、とても走ることなどできず早足で歩いていくことになる。しかし、これまた不思議と、終盤になると、脹ら脛の疲れも取れて、最後は元気に走ってゴールに向かっていった。中盤以降あれだけ苦しんだのが嘘のように普通に走ることができたのだった。
終わりよければすべてよしで、中盤以降苦しんだことはきれいさっぱり忘れてしまうことができたのだった。

このレースは、腹が減っても何も食べられず、のどが渇いても給水ができなくなるという非常に苦しい展開だった。スポーツドリンクのみ2リットルというのではなく、水とスポーツドリンクの両方を用意して、500ミリリットルぐらいのペットボトルに入れるべきだった。また、荷物を下ろさなくてもすぐに取り出せるようにして、前半からこまめに給水するようにしたほうがいいようだ。
給水に関しては、水を用意すればいいとしても、中盤以降何も食べられないというのもつらい。中盤以降も食べられるものがない限り、もう二度と出ることはないだろう。この大会に限らず、ウルトラマラソンの類もまず無理だろう。そう思った。


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